結局のところ、この生きづらさは自己肯定感の低さが原因と考えてみた
こんにちは、ぽわろんです。
この週末、友人夫婦が大げんかをして離婚の危機を迎えたという話を耳にして、彼らの子どものことが心配になりました。
今日は重苦しくなりますが、この話から自分の生き方について改めて考えたことをまとめたいと思います。
親の喧嘩が子どもに与える影響
ぽわろんの親は、昔から喧嘩が絶えない夫婦でした。
原因はお金の問題がほとんどで、母親が父親をヒステリックに一方的に責める構図。
父は温和な人ですが、父が家にいるだけで母がイライラして張り詰めた空気になります。
父はあえて空気を読まないフリをして明るく私に接していましたし、3人兄弟の末っ子である私は、兄弟が不在の中、いつも家で母の顔色を伺って、父と母の間を取り持とうと必死でした。
また、母の普段のおおらかさと、父に対する態度の違いに大いに戸惑い、人間の二面性を恐ろしく感じていました。
自分は周りの人にこんな恐ろしい思いを絶対にさせまいと思いながら、母親を反面教師として生きてきました。
温和な父もとうとう耐えかねて、離婚を口にしたこともありました。
母は専業主婦でしたから離婚には至りませんでしたが、もし自立できる職があれば離婚していたかも知れません。
子どものころは離婚を止めようと必死でしたが、大人になった今思うのは、早々に離婚してくれた方が平和だったかも知れないということ。
そんな子ども時代を過ごした結果、親に対してそんなに大変なら、子どもを3人も産まなければ良かったのにと考えるようになりました。
つまり、3人目の私を産んだのが間違いだった、自分は生まれてはいけない存在だったんだという考えが、心のどこかに植えつけられてしまったのだと思います。
小学生の時、1999年ノストラダムスの大予言の話を聞きました。
どうやらあと数年、私が高校生になったら地球は滅亡するらしい。
友達は怯えていましたが、私はホッとしたのを覚えています。
ここまで生きれば充分と…。
私は周りから見れば、普通の子どもだったと思います。
虐められていたわけでもなく、学校にも毎日普通に通って、友達にも恵まれていました。
鬱になることも、宗教にはまることも、人前で情緒不安定になることもありませんでした。
そんな私が、そんなことを考えていたなんて、誰も知りません。
改めて考えてみると、私は「生まれてきてよかった」と今まで一度も感じたことがないのです。
多くの人は、自分がこの世に存在していることを疑問にも思わずに生きているのかもしれませんね。
なので、この気持ちに共感できるという人は、自分を肯定できない環境で育った人なんだろうなと思います。
周りにも、この人はなんて優しいんだろうと感じる人がいますが、よくよく聞くと幸せな家庭環境で育っていないことが多いです。
これは痛みを知っているからこその笑顔、優しさなんだなあと、改めて人間の奥深さを知る気持ちです。
自己肯定感の低さが性格に現れる
この自己肯定感の低さこそ、自分の性格を語る上で欠かせないポイントなのではないか。
そう考えました。
自分の認識している性格とは、
- 自分の幸せより、他人の幸せを優先する
- 他人に迷惑をかけるのが嫌だ
- 他人からよくして貰うのが苦手だ
- 他人の顔色を伺って空気を読みすぎる
- 自分の本当の気持ちを伝えるのが苦手だ
- 人との争いを避けてしまう
- 人の役に立ちたいと思う
- 自分の価値を常に高めないといけないという焦りがある
- 自分の寿命に執着がない
最後のは、ノストラダムスの頃と変わっていなくて、いつ事故や災害が起きて自分の人生が終わっても、それでいいやという気持ちが、やっぱりあるんです。
むしろ、平均寿命が延びていますなんて聞くと、なんということだ、、と思ってしまいます。
大人になって結婚し、すんなりと子どもを持てなかったのも、これが原因の一つだと思います。
自己肯定できない親が、子どもに生まれてきた幸せを教えられるのか。
自分の子どもにも「なんで私を産んだの?」という気持ちを抱かせ、苦痛の人生を歩ませるのではないか、と自信が持てないのです。
今回、夫婦喧嘩をした友人は今までで7回も離婚届けにサインしたそうです。
結局はいつも持ちこたえるのですが、今回は8回目になりそう。
こんな環境に置かれた彼らの子どもが、私のような気持ちを抱かないことを切に願います。
最近変わったこと
ブログを始めてもうすぐ1カ月になります。
文章力の向上になればと始めたものでしたが、思いの外、自分がどんな人間か、いい分析になっていたと気付きました。
いつもバラバラなテーマで、読んでくださる方がいることも不思議なくらいのブログです。
でも、振り返れば全てが一貫した自分の性格を表した文章になっているものですね。
そして、他の方のブログを読むようになったのも、日々の変化です。
ブログでは、普段の生活で人には言えない本音を吐き出している方も多いかと思います。
それぞれ、前向きになったり、後ろ向きになったり、葛藤して生きている姿には、ハッとするものがあります。
そして、最後に、人との出会いです。
とてもエネルギッシュで生命力がある人っていますよね。
「人生100歳まで現役で生きたい」
「時間がもったいない」
「◯年後にはこうなっていたい」
「我慢して生きて、褒められても仕方ない。迷惑をかけたとしてもやりたいことを後悔のないようにして生きたい」
こんな思想で生きている人と出会いました。
直視できないくらいに、まぶしいです。
まぶしすぎる人は、こちらまで明るく照らしてくれることがあるようです。
そして、自分が自分を肯定できなくても、他人に肯定されることが救いになることも知りました。
生きづらさを感じながらも、それでも日々生きています。
でも、生きてさえいれば、どんな出会いがあるかわかりません。
たまにはゆっくり、肯定できない自分を受け入れながら、時を過ごすのもいいかも知れません。