夫婦別姓が選択制だったら、名字を変えるかどうか想像してみる
こんにちは、ぽわろんです。
サイボウズの社長が夫婦同姓によって被った不利益について国を提訴しようとしているというニュースを見ました。
夫婦別姓:サイボウズ社長「選択できず不利益」国を提訴へ - 毎日新聞
地位のある男性が訴えるということと、実際に金銭的な不利益を被ったということが注目を集めていますね。
ぽわろんは結婚して姓が変わった訳なのですが、もし夫婦別姓を選べたとしたらどうしたかなあと想像してみました。
なぜ今夫婦別姓が議論になるのか
これは、女性が社会進出する時代になり、昔から続く制度が合わなくなってきているからでしょうね。
名前は商売道具でもあります。
著名な方。例えば、 松下電器(現パナソニック)を創業した松下幸之助さん。
松下という姓が持つ意味は大きくて、もし途中で改姓を余儀なくされたら、とたんに周りから誰?という認識になり、会社にも大きな影響があるのではないでしょうか。
女性が社会的地位を確立するようになったということは、このような例が現実に起きているということでしょう。
サイボウズの社長さんが訴えてかけているのもこのようなことですね。
夫婦別姓は不自然?
夫婦なのだから姓がバラバラなんて不自然だ、というのが日本の考え方。
必ず夫または妻の姓に統一することが民法によって強制されています。
しかし、世界的に見ると、このような国は日本だけのようです。
大抵は、夫婦別姓か、選択制などですから、日本は珍しい国と言えます。
ぽわろんは留学生の通う学校で働いていて、ふと気付きました。
他の国では、お父さんとお母さんの名字が違うんだ。
そして本人も結婚しても名字変わらないんだ、と。
そうすると、他の国で自然とできていることが、なぜ日本ではできないんだろう?と単純に疑問に思ってしまいます。
夫婦別姓論では、子どもが両親どちらの名字を名乗るのかという議論になりますが、それが問題だとしたら、日本だけでなく世界中で問題になるはずです。
実際に名字が変わって思ったこと
ぽわろんは、結婚して名字が変わるのは嫌だなと思っていました。
今まで生まれてから30年近くその名で呼ばれていたのに、ある日を境に法的に変わってしまうなんて、ものすごい違和感です。
そして、実際に不便でもあります。
ぽわろんは前の会社では、結婚した後も旧姓で呼ばれていました。
呼び名を変えるか変えないか、これは多くの会社で本人が選べるものかと思います。
しかし、それでも不便はありました。
正式な書類は全て姓を変えないといけないので、例えば保険の書類や年末調整の書類など、これはいったい誰の書類?みたいな混乱を招くのです。
印鑑も2種類を使い分けてましたね。
そして、転職を機に、ぽわろんは職場でも結婚後の姓で呼ばれるようになりました。
入社時に旧姓で受け入れてくれる会社はなかなかないのじゃないでしょうか?
新しい名前で呼ばれても反応出来なかったり、電話に出る時に間違えそうになったこともたくさんありました。
やっぱり旧姓で呼ばれた方が「本当の自分」という感覚なのです。
これはアイデンティティの問題でしょう。
そして、旧姓の時に取得した卒業証書も数々の国家資格の合格証も全て名前が違うことで、なんとなく公式に使用するのが後ろめたいような気持ちになってしまうのも不本意でした。
そんなことなら、堂々と証書の正当性が証明できるように、「改姓証明書」みたいなものがほしい、とも思うのでした。
また、小さい悩みもあります。
例えば、LINEの名前表記も微妙です。
旧姓にしていると今の職場の人は認識してくれないでしょうし、今の名字にしていると、前の職場までの付き合いの人は認識してくれないでしょう。
なので仕方なく「下の名前だけ」で登録しています。
「下の名前だけ」で登録してる人って、そういう微妙な悩みがある人も多いと思います。
また、今までぽわろんのことを名字で呼んでいた夫と共通の男友達が、急に無理やり下の名前で呼び始めたりするのも、ちょっと気持ち悪いものがありました。笑
まとめ
ここまで考えてみて、おそらく夫婦別姓が選択制だったら、ぽわろんは別姓を選んでいただろうと思います。
女性が仕事で活躍するのなら、一生涯オン、オフで2つの名前を使い分けないといけないケースもあります。
もちろん男性が姓を変える場合はその逆も。
議論が生まれるのは、これを普通のことだと思う人と、制度に亀裂が生じていると捉える人がいるからだと思います。
家族なのに名字が違うなんて変だ、と思うなら、生まれた時の家族と強制的に名字を変えられるということをどう捉えるのでしょう。
ぽわろんは、大好きな姉と全く別々の名字になってしまい、もはや家族という証明が難しくなってしまっていることに、むしろ心を痛めます。
なので、人それぞれの思いや環境で、選択制って悪くないと個人的には思います。
積極的に夫の姓になりたい!という人もいることも想像はできるのです。
いやはや、これは愛情の問題でしょうか…?