母に対する考察
こんにちは、ぽわろんです。
週末、姉と実家に帰りました。
実家、と言っても車で20分の距離なのでちょくちょく帰っているのですが(^◇^;)
ぽわろんは仲の悪い両親の、特にヒステリックに突然怒り出す母親の表情を伺いながら生きてきたこともあり、実家とは戻りたくない場所でもあり、でも見放せない場所でもあるのです。
今回は両親の仲も安定しており、母もニコニコ、父が外に楽しみをみつけてウキウキとしているのを見て、「あれ?なんだかんだ、幸せじゃないか」なんて感じ始めていたんです。
しかし、夜になって家に帰る間際になって、ムードは一転。
父親のいつもより執拗な冗談に、母親の怒りのスイッチが入るのが目に見えてわかりました(ノ_<)
父は鈍感な人で、悪気なく、母の地雷を踏んでしまうのです。
いつもだったら、母の怒りに逃げるようにその場を離れる温厚な父が、今日は珍しく応酬するものだから、収拾がつきません。。
しまいには母から、
「ちょっと、人生考え直すわ」
と、物騒な言葉が飛び出します。
ひえぇ(/ _ ; )
母の怒った理由
後になって、メールで話を聞くと、母が怒った理由がわかりました。
母の実家は北海道にあります。
しかし、関東に嫁いだ時点で、実家の親の介護などには一切関われず、それで実の兄弟と口論となり母は絶縁状態にされているのです。
他にも東京に母の姉がいるのですが、その姉はちょくちょく帰省して介護に協力していたのだそう。
しかし、母はそんな頻繁に帰省するほどの経済的余裕もない生活で、泣く泣く「親の世話に何も協力しない妹」の烙印を押されていたのです。
その事情も知らず、父親は今回「実の兄弟なのにずっと会わないなんて信じられない」というような、軽率な発言をしてしまいました。
父親自身は両親も兄弟も徒歩圏内に住んでいて、ずっと仲良く交流していたものですから、母が「あんたには言われたくない!」というように激昂してしまう気持ちも、わかってきました。
母はこんな父が別れたいほど嫌いでも、先立つ物がないですし、帰る家もない、ただ我慢するしかないのだと、ようやくその重みが理解できました。
親子でも他人
今回はメールで事情を説明してくれた母親ですが、普段はこんなことは胸にしまっている人です。
子どもに親の問題を話すのは恥ずかしいとか、子どもに対しても遠慮やプライドが働く人なんだと、改めて感じました。
普段から不満を我慢して、我慢して、ある日爆発する母親のことを、二重人格のようで恐ろしいとずっと思っていたぽわろん。
この人のようには決してなるまいと、反面教師にして生きてきたのだけれど、ふと思うと、ぽわろんが自分の問題を言えずに内に秘めるところは結局、母親似なのだと気付きました。
自分にもし子どもがいたら、きっと子どもには自分の悩みなどを打ち明けないだろうと思います。
母親の内側には自分の知らない悩みや人生への悔恨があるんだなぁと思うと、親子だけどやはり他人なんだなと感じました。
そして、その内側を理解しようとしなかった自分を初めて、申し訳なく思ったのでした。
最後に
これから自分に何ができるかを考えました。
それはこれから母が自分のために生きるために手を差し伸べること。
「人生を考え直す」ことを母がした時に、恐らく、自分の子どもに頼ることはしないでしょう。
なので、したいことがあれば頼るように言ってみたいと思います。
そして自分自身への考察として。
いつでも自立できるようにしたい。
今だって働いてはいるけれど、一人で生きていく状況をいつだって想像して動きたい。
収入がなくて身動きが取れない状況はつらいでしょう。
だから何歳になっても成長をしなければと思います。
そして、自分の人生、なるべくやりたいことをやりたい。
我慢して後悔して、人生の後半で爆発する母を見て、そんな気持ちにさせられました。
今まで環境や状況で諦めたことも多いけれど、それは本当にできないことなのか、もう一度よくよく考えたい。
そんな風に思いました。