ボランティア精神はお金によって崩される?
こんにちは、ぽわろんです。
以前、仕事と娯楽の違いについて考察してみました。
娯楽と思えばお金を払ってでもしたいが、仕事と思えばお金をもらってもしたくないと思う。
人間の物事の捉え方にはそんな側面があると考えました。
今日は自主性・ボランティア精神とお金について考察してみます。
親友の結婚式にて
ぽわろんは人前に出て目立ったことをするのが苦手です。
ですが、人生で一度だけ、結婚式での「友人代表のスピーチ」を引き受けたことがあります。
思い出すだけで緊張の冷や汗ものの経験でしたが…。
小学生からの付き合いの特別な友人でしたので、頼まれた時、そうだよね、私がやらないとだよねって思って頑張りました。
友人との出会いから数々の思い出を回想したら、自然と気持ちのこもったスピーチになりました。
練習も重ねて、人前で緊張していても自然と口から言葉が出てくるくらいになりました。
そうして、迎えた本番。
スピーチをした私にとっても感動的な、大切な人生の一幕になったのです。
が、
その後、友人の親から封筒を手渡されました。
そこに入っていたのは、現金5,000円。
それを受け取って、なんだか、行き場のない悲しみを覚えたのでした。
確かにこれは大人のマナーで、結婚式のルールなどに必ず書いてあるもの。
しかし、不思議なことにそうと分かっていても、友人のためを思って作ったメッセージや練習をしてきた時間が、急にビジネスライクなものに思えてきてしまったのです。
実際は、ありがとうの気持ちなんだってわかるのですが、その5,000円は何年も経った今でもなんだか後ろめたくて、使う気になれないのでした。
甥っ子の面倒をみて
また、こんなこともありました。
姉と、とっても仲の良いぽわろん。
甥っ子がまだ1歳くらいの手が全然離せない時期。
姉が美容院に行っている間、甥っ子をみててくれないかと頼まれました。
恐らく、姉は出産してから初めて、ひとりでの外出です。
快く引き受けて、数時間の間、甥っ子と遊んだり、ご飯を食べさせたりして過ごしました。
ところが、姉が帰ってくると、
「ありがとう、助かったよ〜」
と、例のポチ袋を渡されたのです。
中にはまたしても例の5,000円が!
やはりこの瞬間、ぽわろんは急にビジネスライクな壁を感じ、悲しい気持ちになってしまったのでした。
家族なので、こんなのいらないよと言いましたが、姉にしてみたら外にベビーシッターを頼むのもお金がかかるものですから、当然その分のお金はぽわろんに払うべきと思ったのでしょう。
お金が絡むと急にボランティア精神はなくなる
さて、この話から、こんなことが言えると思います。
親しい人に頼まれたことは損得抜きで、ぜひやってあげようと思います。
これを準備する時間、かかった経費、などお金に換算しようとは思わないはずです。
しかし、ここにお礼などの形でお金を登場させてしまうとどうでしょう。
例えば、5,000円でスピーチをしてくれない?と言われたら…。
ぽわろんは人前で話すのはできれば願い下げしたい。
なので、5,000円でと言われたら、それまでの労力とか心にかかる負担を考えて、お引き受けしないと思います。
お金が登場しないうちは、親友の晴れ舞台ですから一肌脱ぎましょう!と思えていたのに、です。
社会規範の中にお金を持ち出すと、たちまち市場規範に成り代わる
アメリカ、デューク大学で行動経済学の教授をしている、ダン・アリエリーさんの本にこんな記載がありました。
わたしたちがふたつの異なる世界ーー社会規範が優勢な世界と、市場規範が規則を作る世界ーーに同時に生きている
社会規範とは、例えばちょっと人の荷物を持ってあげたり、ドアを開けてあげたり、宿題を教えてあげたり、そういう共同体の中の社会性に関わって来るルールのようなもの。
市場規範は、1時間5,000円でマッサージをしてもらうとか、1ヶ月80,000円で家を借りるとか利益と迅速な支払いによって成り立つ社会のルールのようなもの。
この社会規範の中に、市場規範を持ち込むと、急にビジネスライクになる。
親しい仲でそれをやってしまうと、関係の崩壊に繋がるということ。
例えば、自分の職業が学校の先生だったとします。
友人の家に食事に呼ばれた時に、「ちょっとうちの子の勉強を見てあげてくれない?」
なんて言われたら、よーしいいぞなんて、腕まくりして1時間くらい教えてあげても全然悪い気はしません。
しかし、「1,000円払うから、うちの子の勉強を見てもらえない?」と言われたらどうでしょう。
今まで無料でやってあげていたことなのに、急に「自分はプロの教師なのだから、1,000円なんて安い金額でやりたくはない」なんて思いませんか?
そして頼む方も「お金を払っているのだから、ちゃんと成績を上げてもらわないと困る」と急に要求が厳しくなりそうです。
一気に関係がギクシャク、ギスギスとしたものに変わってしまうのです。
これが今までボランティア精神、自主性で成り立っていた社会から、お金による利益を求める社会に変わってしまう瞬間です。
なので、ダン・アリエリーさんは、社会規範の中では、お金を持ち出すべきではない。
お礼をするならプレゼント(値段は決して言わない)をするべきだという答えを実験によって導いています。
無報酬だとやるのに、1,000円払うと言われるとやらない、一見矛盾とも思えるこの人間の心の動きを、見事に説明していますね。
今回参考にした本はこちら。
予想どおりに不合理: 行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)
- 作者: ダンアリエリー,Dan Ariely,熊谷淳子
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2013/08/23
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人間の、不合理だけどついやってしまいがちな行動の理由に仮説を立て、実験によって実証する試みが面白く読めます。
そして、人の行動を通じて、経済を読み解くというのがまた面白いです。
モノが無料だと人間はどういう行動をとるか、比較するモノがあると人間はどれを選ぶか、人間の価格の刷り込みはどれだけあるのか、などなど興味深い話ばかりです。
生きるためのヒント、仕事に活かせるヒントがきっとあると思います。