仕事と娯楽の差はどこにある?トム・ソーヤの発想から学ぶ
こんにちは、ぽわろんです。
昔から夫に「おまえは真面目が服を着てるようだ」と形容されます。
どんな時に言われるか。
夫がゲームをしている傍らで、せっせと仕事や勉強をしている時です。
もちろん、これは褒め言葉じゃなくて、堅苦しいとか、もっと楽に生きたらいいのにって意味だと思います。笑
では、夫のしている「ゲーム」と私のしている「勉強」は、どんな違いがあるのでしょうか?
『トム・ソーヤの冒険』の有名なエピソードから見えること
マーク・トウェイン著『トム・ソーヤの冒険』を読むと、誰もがハッとするであろう場面があります。
それはトムが天才的な発想の転換を見せる場面です。
ある日、塀のペンキの塗り替えを言いつけられるトム。
これは面倒で、できればやりたくない「仕事」です。
そこでトムはどうしたか。
友達に頼む?
そうすると、きっとトムは友達に嫌な顔をされて、見返りを求められたことでしょう。
そこでトムは、いかにも楽しそうに塀を塗り始めます。
ペンキの塗り替えなんて、めったにできることじゃないぞと。
そのうち、友達もお願いだからペンキを塗らせてくれと頼むようになります。
でも、トムは承知しません。
ついに、友達はトムにお金を払ってまでペンキ塗りをやらせてもらうようになる、というエピソード。
すごく示唆に富んだ話だと思います。
全く同じ作業が捉えようによって「仕事」にも「娯楽」にもなるということを気づかせてくれるのです。
こうとも言えそうです。
- 「仕事」はお金をもらうもの
- 「娯楽」はお金を払うもの
勉強は「仕事」か「娯楽」か
ぽわろんは昔から勉強が嫌いではありません。
特に、授業など先生から教えてもらうことは、好きなんだと思います。
では、なぜ勉強が苦ではないのか。
それは育った環境が大きいのかなと思います。
親が勉強に無関心
たぶん珍しいと思いますが、ぽわろんは親から「勉強しなさい」と言われたことがありません。
なので、親からの「勉強しなさい」は憧れのワードです。笑
友達の中には、テストで良い点を取ると親から報酬がもらえるという子もいました。
先程のエピソードからも、行動に対してお金がもらえるというのは、娯楽ではありません。
そうすると、「勉強は嫌なものだけど、見返りがあるからやる」といった意識が根付いてしまうのではないでしょうか。
ぽわろんは、良い点を取っても、親は「あなたは頭がいいのね、誰に似たんだろう?」とどこか他人事でした。
なので、勉強するもしないも全て自分のため。
知りたいから学ぶ、といった意識が自然とつきました。
もちろん苦手な科目の勉強は苦痛でしたが…。
勉強はお金がかかるもの
ぽわろんは3人兄弟の末っ子。
家計も余裕がないのはわかっていましたから、学生時代、塾や予備校に行く選択肢はありませんでした。
なので、多くの人が「親から行かされていた」塾が、ぽわろんにとっては憧れの場所でした。笑
大学受験の時も予備校に行けない分、自分でアルバイトしたお金で参考書を買って勉強していました。
先程のエピソードの通り、お金を払う=楽しいこと、自分がやりたいことという構図が、勉強に当てはまっていたのだと思います。
特に、先生から教えてもらうなんてことは、お金がたくさんかかることです。
大学の授業料もとっても高いですよね。
ぽわろんは卒業してだいぶ経つ今でも奨学金を返済してます。
このお金を払ってるという意識が、きっと「楽しいこと」という意識につながっているのだと思います。
社会人になって驚いたこと
この勉強についての考えは、社会人になってからもう一つの見方に出会いました。
それは、「お金をもらって勉強をする」ということ。
前職はSEだったので、仕事で1年に1回はIBMや富士通など外部が実施する研修に行かされました。
これは例えば3日間で10万円くらいかかるお高い研修です。
しかし、もちろん自費ではなく、会社が負担してくれます。
しかも、この3日間は研修に行っている時間が勤務時間ですから、給料も発生しています。
これ、周りの人は当たり前に感じているようでした。
それは最初から勉強=仕事という意識だからです。
でも、ぽわろんにとってはびっくり、衝撃的。
勉強するのにお金がいらないだけじゃなくて、もらえるの?ってなりました。
真面目!って言われると恥ずかしいので、この衝撃は当時胸の内にとどめたのですが。
どうでしょう。
同じ「研修」でも、「仕事」と捉えるか、「娯楽」と捉えるか、人によって違うということは興味深いなあと思います。
ゲームと勉強と
夫は仕事以外、暇さえあればゲームをしています。完全に「娯楽」なんですよね。
ぽわろんもゲームに付き合っていた時期もありましたが、やはり人から強制されるものは段々と苦痛になるものです。
つまりぽわろんにとっては「娯楽」になりきらなかったのですね。
このことからも、同じものでも、人によって場合によって価値観が違うというのは、日常でよくあることなのかなと思います。
夫にはそれでも、「お前は真面目が服を着ている」と言われてしまうのでしょうね。
こんな分析を真面目にしちゃうあたり…。笑